イラクディナールについて

基礎概要

バグダッド
ISO4217IQD
中央銀行イラク中央銀行
国旗

硬貨25,100ディナール
通貨硬貨イラクディナール(IQD)
紙幣50,250,500,1000,5000,10,000,25,000、50,000ディナール
イラクディナールの基礎概要

イラクディナールの歴史

現在のイラクにあたる地域が第一次世界大戦中にイギリスの占領・統治国家となって以降、公用通貨はインド・ルピーでした。1931年、インド・ルピーに代わる新たな通貨としてイラクディナールが1ディナール=13⅓ルピーのレートで導入され、為替レートは1959年まで英国ポンドと1対1の等価でペッグされました。

それ以降はアメリカ合衆国ドルと1ディナール=2.8ドルでペッグされましたが、1971年から1973年にかけての実質的なドル切り下げには追従しなかったため1ディナールは3.3778ドルに上昇、のちに1ディナール=3.2169ドルとする5%の切り下げを行いました。このレートは湾岸戦争時まで維持されたものの、1989年末において闇レートは公式レートの6分の1に近い価格、1ドルが1.86ディナールだったという報告がされています。

1991年の湾岸戦争後に経済制裁が加えられた結果、以前に使用されていたスイスの印刷技術は利用できなくなり、新しい紙幣の品質が低下しました。それまでスイスで製造されていた通貨は相当に上質な紙幣を造幣しており、スイスの印刷技術に由来してスイス・ディナールと呼ばれ始めクルディスタン地域で流通が続いていました。その一方で、新紙幣は政府による発行超過の状態に陥り、急速なディナール安を引き起こし、1995年後半に1ドルが3000ディナールの価格にまで暴落していきました。

2003年のイラク戦争によるサッダ-ム・フセインの失脚後、イラク統治評議会と復興人道支援室はマネーサプライを維持するため新通貨の導入が可能になるまでの暫定措置として戦前の紙幣を造幣していましたが、2003年10月15日から2004年1月15日にかけて連合国暫定当局から「イラク全土で使用され、また国民の日常生活において使い勝手のよい単一統合通貨とするため」に新イラク・ディナールの硬貨と紙幣が発行されました。このときスイス・ディナールをのぞく旧紙幣は等価で新紙幣に両替され、価値を保ち続けていたスイス・ディナールに対しては、1スイス・ディナールが150新ディナールのレートで両替されました。

この新紙幣導入後の価格は1ドルに対して4000ディナールだったところから一時は1000ディナールを割れるディナール高となりました。それ以降は比較的落ち着いた値動きをたどり、2009年以降、イラク中央銀行は為替レートを1ドルに対して1170ディナールとしています。しかしながら、イラク・ディナールはいまだ国際為替レートに設定されていません。

イラクディナール硬貨について

ディナール導入後は、1931年と1932年に1,2,4,10,20,50,200フィルス硬貨が発行され、200フィルスは1リアルとして知られていました。20,50,200フィルス硬貨は銀を用いて鋳造されており、のちの1953年には100フィルス硬貨が導入されました。

イラク共和国成立後は1,5,1025,50,100フィルス硬貨の新シリーズが導入され、25,50,100フィルス硬貨が1969年まで銀を用いて鋳造されました。1970年に250フィルス硬貨、1982年には500フィルス硬貨と1ディナール硬貨が導入されました。しかし、1990年を最後に全ての硬貨の鋳造を停止しました。

2004年に25、100新ディナール硬貨が導入されました。

最新の硬貨の詳細は以下のとおりです。

額面寸法重量構成
25ディナール17.5mm2.0g銅メッキの鉄鋼イラク中央銀行、25ディナールの刻銘イラクの概略地図
100ディナール22.0mm4.3gニッケルメッキの鉄鋼イラク中央銀行、100ディナールの刻銘イラクの概略地図
2004年硬貨

イラクディナール紙幣について

1990年以前

1931年にイギリスで製造された紙幣が政府によって発行されました。

1931年から1947年は政府によって選定されたイラク通貨委員会から発行されていて、紙幣はUKポンドに兌換ができました。

1947年から発行体がイラク通貨委員会からイラク国立銀行へと替わり1954年からはイラク中央銀行が発行体となっています。

100ディナール紙幣は、1940年代に造幣をいったん停止してから1978年になって再発行され、同時に25ディナール紙幣が新たに導入されました。

その後は1991年に50ディナールと100ディナール紙幣、1995年に250ディナール紙幣、2002年に10,000円ディナール紙幣が導入されました。

1990年~2002年紙幣

1986年に発行された25ディナール紙幣、また1990年から2003年10月のあいだに発行された紙幣にはサッダーム・フセイン前共和国大統領の肖像が描かれています。

1991年の湾岸戦争以降、イラクの紙幣は地方部や中華人民共和国で製造され、原料は木綿やリンネルでなく低級なパルプ紙を使い粗悪なリトグラフによって造幣されました。

一部には原料に用いられたと思われる古新聞の形跡が残ったまま印刷された紙幣もあり、さらには本物の紙幣より上質な偽札が出回ることも頻繁にあった。

また急落するディナールをよそに、しばらくの間250ディナールが最高額紙幣として使用されていましたが、2002年になって巨額取引、インターバンク取引での使用を想定した10,000ディナール紙幣がイラク中央銀行から発行されました。

しかし、一般的には、偽札のおそれや略奪行為の元となる紙幣と広く認識されていたので、日常生活で使うには大量の250ディナール紙幣を持ち運ぶ必要がありました。

その他の小額紙幣は大部分が価値を失い、使われることはほとんどなくなっていき、これらによりたった1種の紙幣、250ディナール紙幣のみが広く流通するという状況を生みました。

額面主色図柄(表)図柄(裏)
4/1ディナールヤシの木建築物
1/2ディナール菫色アストロラーベマルウィヤ・ミナレット
1ディナールピンク/緑硬貨ムスタンシリーヤ大学
5ディナールサッダーム・フセイン戦士らの霊廟
10ディナール青みがかった緑サッダーム・フセイン人頭有翼牡牛像
25ディナール(1990年)建造物
25ディナール茶色がかった緑サッダーム・フセインと騎馬隊
25ディナール(2002年)サッダーム・フセインイシュタル門
50ディナール(1991年)ピンク/緑サッダーム・フセインマルウィヤ・ミナレット
50ディナール(1994年)茶色/青サッダーム・フセインサッダーム像
100ディナール(1991年)緑/紫サッダーム・フセイン
100ディナール(1994年)サッダーム・フセインバグダード時計塔
100ディナール(2002年)サッダーム・フセイン古民家
250ディナール菫色サッダーム・フセイン自由の像の小壁
250ディナール菫色サッダーム・フセイン岩のドーム
10,000ディナールピンク/菫色サッダーム・フセインアラビアのアストロラーベ
1990年~2002年紙幣の特徴

2003年紙幣

2003年に50、250、1000、5000、10,000、25,000ディナールの6種からなる新紙幣が発行され、翌年の2004年10月には500ディナール紙幣が発行されました。

そして、2004年1月15日をもって法定通貨ではなくなったすべての古いディナールおよびスイスディナール紙幣から取って代わりました。

フセイン政権時代には、フセイン大統領の肖像を描いた紙幣が発行されていました。イラク戦争後は、以前使われていた、建築物や風景を描いた無難なデザインの紙幣を復刻して使用しています。

これらのデザインは1970年代、1980年代にイラク中央銀行から発行された紙幣のデザインに似ています。

偽造を防ぐためのセキュリティ機能が多く、耐久性が高いため、損耗が少なく種類が多くなっています。

製造はイギリスのデ・ラ・ルーが手掛けています。

額面主色図柄(表)図柄(裏)
50ディナールバスラの穀物サイロナツメヤシ
250ディナールアストロラーベサーマッラーのマルウィヤ・ミナレット
500ディナール青みがかった緑ザブ川のドゥカンダムアッシリアの人頭有翼牡牛像
1000ディナール茶色ディナール金貨バグダードのムスタンシリーヤ大学
5000ディナールダークブルーアリー・ベグ・ガリとその滝ウカイディール宮殿
10,000ディナールイブン・アル=ハイサムモースルのバドバ・ミナレット
25,000ディナール小麦を束ね抱えるクルド人農婦ハンムラビ王の彫像
2003年紙幣の特徴

株式会社S・T・Iでは正真正銘のイラクディナール紙幣の取り扱いをしております。イラクディナール紙幣の特徴からチェック方法や製造方法などこちらの記事で解説しております。

イラク国家の歴史

イラクの歴史
1973年 10月第四次中東戦争
1979年 7月サダム・フセインが大統領就任
1990年 8月湾岸危機 イラクによるクウェート侵攻
1991年 1月湾岸戦争
1991年 2月アメリカによる停戦宣言
1991年 4月イラクと国連との停戦が合意
1993年 1月アメリカ軍がイラク軍の対空砲陣地を爆破
1998年 10月アメリカ軍が湾岸部隊を増援
2001年 9月アメリカ同時多発テロ911事件
2003年 12月サダム・フセインが拘束される
2004年 5月アメリカ、ブッシュ大統領が戦闘終結宣言を表明
2005年 10月日本人人質殺害事件
2006年 12月サダム・フセイン処刑
2007年 10月イラク国内死者数半減、アメリカ軍の削減が実行された
2008年 2月バクダートにて自爆テロ発生 多くの犠牲者を出す
2009年 2月アメリカ、オバマ大統領イラク国内のアメリカ軍の撤退を表明
イラク年表

イラクは、紀元前にはバビロニア王国8世紀にはアッバーズ朝が起こった地域です。バグダ-ドに首都が置かれました。通商の一大拠点として古来より栄えてきました。

現在のイラクについて

現在のイラクについて知ることで、イラクディナール紙幣に対しての理解もより深まります。ここではイラクの経済や政治などについて解説していきます。

石油資源は世界で3位

イラクは1,150億バーレルの石油埋蔵量(1970年時点)で、サウジアラビア、カナダに次いで「石油」の埋蔵量は世界3位になります。

世界第3位の原油埋蔵量を誇り、近年の原油価格の高騰で、その価値はさらに高まっています。

イラクの潜在的原油埋蔵量はサウジアラビアを上回る世界第一の油田大国であると公言している石油専門家もいるくらいです。

イラクの政治について

日本人にとって最も名前が知られたイラク人といえば、サダム・フセイン氏ではないでしょうか。サダム・フセイン氏は1979年から2003年まで大統領の職にありました。

サダム・フセイン氏の在任期間中は、イラン・イラク戦争(1980~1988)、湾岸戦争(1991)、イラク戦争(2004)と3度の戦争を指揮しました。

イラクはテロが絶えない国ですが、2010年2月のテロ件数はアメリカのイラク侵攻後最低になっています。

イラク経済について

イラクは度重なる戦争・紛争によって、経済は破綻し他国に対しての信用は失墜し、石油産業で潤っていたイラク経済は停滞してしまいます。

国際的に通貨価値は世界でも下位にランクされるくらい低くなりました。

IMF(国際通貨基金)が作成した2007年度のイラク財務諸表によると、2007年12月現在のイラクの対外債務は約5.6兆円です。

イラクのGDPは約5兆円なので、GDPと対外債務が同額ということになります。

2020年にはイラクディナールの公定レートを2割強切り下げました。その結果、輸入品が値上がり、物価が上昇しているという状況です。

これにより、政府はしっかりとした政策措置を講じました。

リスクを軽減し、経済を回復するための改革です。

出典:ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典

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